夕顔の本棚

ここに掲載しているものはフィクションです。苦手な方はご注意ください。

[第三話]夕星の約束 二

 

現在使われている校舎の北側に位置する旧校舎。

 

昔は綺麗に手入れされた建物だったらしいが、少子化の影響で教室として使われなくなり、今は授業用の古い資料や大きな実験器具をしまうだけの倉庫と化している。

 

人がほとんど立ち入らなくなった今では、もともと学校の敷地内にあった雑木林も整備されなくなり、建物はほとんど木々に飲み込まれるような形になっていた。

 

昼間でも薄暗いこの旧校舎に、いちばん出入りしている生徒は僕だと思う。

 

埃っぽく、古い木の匂いがする最上階の最奥の部屋。

 

明らかに歪んだ木枠に無理やり収まっている扉を力いっぱい引くと、年月の経過によって劣化した木が、嫌な音をたてる。

 

ここが、僕の部室。

 

「地学準備室」と書かれた扉を開けると、中にはおよそ教育機関とは思えぬ光景が広がっている。

 

アンティーク調の本棚が壁一面に配置されているが、そこには教科書や参考書といった類の本は一切ない。

 

古代の地図や神話を語る洋書、星座、惑星、宇宙についての文献でびっしりと埋め尽くされ、収まりきらない本が床やソファに散乱している。

 

本棚と同じアンティーク調の家具にも、太陽系をかたどった模型や天球儀、地球儀、珍しい鉱石が散らばっていて、片付いているところがどこにもない。

 

極め付けは深紫色のビロードのカーテンだ。

 

ただでさえ薄暗い旧校舎に、遮光性の高いカーテンを採用し、窓から差し込む光に抵抗するようにしてつけられている。

 

ここが学校の中と知らない人が見れば、占いの館にでも来たのかと勘違いするだろう。

 

だが、ここは地学準備室。

天文部の僕にとっては、ここはれっきとした部室なのだ。

 

「先生、いらっしゃらないんですか」

 

地学準備室をこんなにしてしまったのだから、どんなに変わり者の先生であるか、なんとなく想像はつくだろうが、先生は部活にも来たり来なかったり。

 

家に帰らず、ここで何日も天文の研究に明け暮れている時もあれば、数週間ここに現れない時もある。

 

カーテンと同じ深紫色のふかふかのカーペットを踏み、部屋の中に入ると、僕はそこら中に転がっているスツールのうちの一つに乱暴に鞄を置いた。

 

「あ、金指来たのか」

「びっ…くりした…。先生、いたの」

 

声の方に目線をやると、小扉から先生がひょっこりと顔を出していた。

 

今の今まで全く人の気配を感じなかったが、先生は地学準備室の奥のプライベートルームにいたらしい。

 

プライベートルームといっても、簡素なキッチンに机と椅子があるだけの、しがない休憩室だが。

 

「今日は珍しくお客さんが来てるんだよ。お茶淹れたけど、金指も飲む?」

「お客さん?」

 

地学準備室に僕以外の生徒が来ているところを、入部してから一ヶ月経つが一度も見たことがない。

 

不思議に思ってプライベートルームに近付くと、先生の好きなアールグレイティーの香りが心地よく鼻腔をくすぐる。

 

「お前、クラスメイトなんじゃないの」
「え?」

 

掃除が行き届いていない散らかったプライベートルームに、暗くても分かるほど白い肌をした女子生徒が座っていた。

 

「あ、」
「あら、金指くん」
「…神代さん」

 

そこには、話しかけなければ、とずっと思っていた君がいた。

 

黒い箱を渡されてから、今日一日中、ずっと僕の心と頭を支配していた君が。

 

「ねえ金指くん、この部屋おもしろいわね」

 

君は、昨日電車に乗った時と同じ顔をしていた。

 

昨日と同じ、太陽が一日の役目を終えて地平線に消える時間だからだろうか。

 

それとも普段、落ち着き払って表情が読めない君が、少しでもわくわくしているからなのだろうか。

 

教室で見る時と違って、今の君は無垢な少女に見える。

 

「金指くん、この紅茶、すごくいい香りよね」

 

君がそう言って僕に笑いかけた瞬間、ボーン、ボーンと振り子時計の柔らかい音が、この不思議な部屋の中を通り抜けていった。

 

時刻は午後5時。

 

 

運命が、動く気配がした。