夕顔の本棚

ここに掲載しているものはフィクションです。苦手な方はご注意ください。

[第三話]夕星の約束 一

 

半ば上の空で先生の長い話に耳を傾けている生徒たち。


放課後を待つ前のめりな気持ちが透けて見えるような乱雑な沈黙を、軽やかな鐘の音が貫く。


先生の話はおそらく終わっていなかったが、この瞬間を待ち侘びていた生徒たちが放課後という時間になだれ込むように席を立ち、楽しげなざわめきが説教じみた声を掻き消すからか、先生は苦笑いしながら浅いため息をついていた。


僕はというと、朝一度は受け取ってしまった箱を本当にもらっていいものか、午前中ずっと悩んでいた。


…一度受け取ったものだし。
…でも、こんな高価なものを。
…高価だが、神代さんからすればお礼として適正な価格帯のものなのかもしれない。


色々に思いを巡らせ、やはり返すのはおかしいだろうという結論に至った僕は、受け取った時に動揺して言い忘れてしまったお礼を、せめてきちんと言わなければ、とその機会を窺っていた。


しかし、女の子という生き物はどうしてああも群れで行動するのだろう。


お礼を言おうにも、君の周りにはいつも誰かがいて、事情を知らない女の子たちが何人もいる中で君に声をかける勇気が僕にはなかった。


そうこうしているうちに、放課後になったというわけだ。


お礼を言わずに家に持ち帰るなんてことをしたら、なんとなく消えないこの後ろめたさが、はっきりと姿を現し幾倍にも膨れ上がることは分かっていた。


何をそんなに急いでいるのか、鐘とほぼ同時に教室を出る生徒もいる中、君は落ち着いて座り、まだ鞄に本を詰めている。


それでもタイムリミットが近いことは明確だ。


あと数秒後には、また女の子たちが君の周りを囲むかもしれない。


今しかない。


心に決め、君の席に近付いたその瞬間だった。


「神代さ…」
「金指ー!!」


帰宅した飼い主を見つけた子犬のように、浮所が勢いよく僕のそばへ飛び込んできた。


「…なに、浮所」


「えー!なに金指こそ!!テンション低くない?!」


ちら、と君を見ると、鞄の中身を確認して丁寧に金具を閉じているところだった。


「な、金指。今日カラオケ行こうぜ!大昇も行くってさ!」
「あ…いや…」


騒がしい放課後の教室の中でも一際目立つ浮所の大きな声だが、今の僕の耳には入ってこない。


左手首につけた白銅色の華奢な腕時計で時間を確認すると、君はすっくと立ち上がり、きちんと椅子を引いてそのまま教室を出て行ってしまった。


早く…早く追いかけないと。


「なあ〜カラオケ、行くだろ?カラオケの後は飯食いに行こうって話、大昇としてるんだけど!」


僕より体格のよい浮所にガッチリと肩を組まれ、僕は君を追いかけることすらできず、その後ろ姿が廊下の人混みに消えるまでただ見ていることしかできなかった。


「金指、話聞いてる?カラオケと飯、行く?」
「あ…ごめん」


開けっぱなしの鞄から覗く、君からの贈り物に僕はそっと目をやった。


急に心が重くなったのを感じた。


今日のどのタイミングでもよかったじゃないか。
周りの女の子になんと思われようと、浮所に話しかけられている最中だろうと、こんな気持ちになるくらいなら、無理矢理にでもお礼を言えばよかったじゃないか。


平仮名五文字でできた感謝の言葉すら君に伝えられないなんて、僕は本当に意気地なしの情けないやつだ。


「カラオケも飯も…今日は行けないや」


「えー!金指、なんで?!」


「今日、部活に行かなきゃいけないんだ」


部活があるのは本当のことだが、今にも雨が降り出しそうな湿った重たい乱層雲で心の中が真っ暗な僕には、いつもはありがたく思える浮所の明るさや無邪気さが眩しすぎた。


「部活って言っても、部員おまえ一人なんだろ?休んじゃえよ!」


「本当にごめん、近々イベントがあるから休めないんだ。誘ってくれてありがとう。…楽しんで」


少し冷たい言い方だったかもしれない、と思ったが、教室を出る間際、「金指ー、部活頑張れよー!」という浮所のいつもの明るい声が聞こえてきて、僕は救われた気がした。


「ありがとう」


こんな日は、部室に行くに限る。


下校中の生徒たちを見下ろす長い渡り廊下を走り抜け、旧校舎の少し埃っぽい階段を駆け上がって、僕は最上階を目指した。